全集!集合!! Gather! Complete!! 2009年11月
子供の頃、人様の立派なお宅へ遊びに行くと、ガラスの扉のついた本棚があって、文学全集なるものが置かれている場合が多かった。
うちにも全集があったが、本棚はなかった。なにせ、しがない家庭内手工業の蒟蒻製造業であり、有限会社ではあるが、なんとなく会社というには忍びないものがあった。
工場と一体型の家屋で玄関もなければ、書斎もないという状態。祖父は日本蒟蒻協会の協会長までやって勲章までもらったのだが、いつも働かされた記憶が強烈である。
紅白歌合戦で、「皆様、こたつに集まってテレビを見ていらっしゃるかと思います」などと聞こえてきたのは、七輪で手を暖めながら店番をするというせつない状況である。歌合戦が終わるころに、ようやく店じまいである。
働くのは、嫌ではなかったが、立派な本棚と玄関は欲しかった。
当時、高度成長期で、「文学全集」などと言うと、高尚で、なおかつ知的に響き、購入意欲をあおったに違いない。あるだけでステータスというのは、家に車にカラーテレビにと、当時の風潮でもあったと思う。
子供の頃の記憶をひも解いて、あの頃の文学全集は、何があったのか。
ふと、生じた疑問から、この集成の中で、全集だけを集めてみました。が、膨大な資料の中から、ひとつひとつ解き明かすのは至難の技で、当時の記憶からも完結していない全集もあったとは覚えていたが、どれなのかはまったくの未知数。
書誌情報を明確に教えてくれる資料もないだろうし、中途半端だが、まあいいやと思っていたところ、ジュンク堂の池袋で、なんと『世界文学全集』という本を見つけました。
まさしく得難い著作である。
『世界文学全集』著者:矢口進也 出版社:トパーズプレス 1997年10月 ISBN4-924815-27-6
この本を基本に再構成しました。国会図書館のデータベースでは、やはり足りない部分も多く、四苦八苦しました。
なお、記載されている総ての叢書を網羅できておりません。少しずつプラスさせていく予定。
また、収録作品にも差違があり、これについては、どうしようもないので、調査項目。
河出書房新社の個人編集版も売れているようで、改めて、世界なんとか全集を出そうという気運も高まっているのかなとも思える。
戦前戦後の全集を見ると教育的側面も伺えるが、それ以上に文化的な財産という意味もあるのではないかとも思う。
「おとうさんの本棚」という復権も目指して、そう、あのガラスの扉の本棚、もしくはカーテンのある本棚を開ける、そこに燦然と輝く世界なんとか全集が…
これ以外にも『世界名作大観』『近代西洋文芸叢書』等がある。
現実に、『文学全集』の名前を冠した叢書は、新潮社を祖とするらしい。この新潮社の『世界文学全集』は一円という価格設定もあって、当時、売れたらしい。しかし、第二期以降は苦戦したらく、一期38巻、二期は半分の19巻で終わっている。
昭和3(1928)年に平凡社から、『新興文学全集』24巻(日本10巻+海外14巻)。今回、間に合わなかった。そのうち、掲載します。
昭和10(1935)年、三笠書房から『現代ソヴェト文学全集』があるが、未刊行分があるらしい。
読んでみたいのは改造社の『世界大衆文学全集』80巻だろう。なかなかにすばらしい収録作品である。
戦前最期の河出書房『新世界文学全集』は、困難な時代背景でよく出版できたものと思う。気概みたいなものを感じられる。
河出書房の『世界文学全集』が、おそろしいほど複雑で、またなんでこういう事になるのだろうと思えるほどややこしい。
ぼちぼち復興も成ってきて、娯楽が欲しい人々が購入したのも間違いないだろうけど、図書館、小学校などの教育機関での購入も多かったのではないかとも思える。
町の商店街には、必ず貸本屋があり、本屋があった。
『百科事典』とか、『文学全集』を欲しがるひとは、地元の本屋さんは適確に把握していたはずである。
「旦那、いい本はりまっせ」「ぼくちゃん、新しいマンガはいったよ」という呼び込みで客を呼ぶ。
「旦那、日本文学全集だけじゃ、やはり世界文学全集もないとねえ」「ほら、子どもの教育のためにも百科事典くらいなきゃ」
「そうか、う~ん、そうか、教育か、やっぱ、おれも読んでおかないとだめなんだろうな」
という、やりとりかどうかはわからない。でも、たぶん、こんなものであったのではないだろうか。
『文学全集』などは、予約制がほとんどであった。新聞で、バーンと宣伝して予約を集める。で、地元の本屋さんが個別に宅配する。小学生月刊誌も宅配された時代である。なにげなく会話して何が好きなのかを把握していたはずである。
また、おつきあいの範囲で、お互い購入はしていたはずである。
しかし、やばい本、変な本??を買う場合は、地元の本屋は行けなかったというせつない話でもある。
毎年、出ていても、本屋の方が理解しているから、購読者はまったく困らなかったのではないかと思える。
たぶん。
1973年にオイル・ショックがあり、紙の単価があがる。当時、平均220-250ページくらいあった新刊のマンガ本が同じ値段でありながら、下手をすると190ページ以下ということもあった。
トイレには紙がなく、代わりに新聞紙が、洗濯には、粉せっけんがなく、普通のせっけんが、高度成長でやってきた日本が、少しばかり痛打を受けた一瞬である。
しかし、好調になりつつあるマンガ・週刊誌等々の集英社が、同じくマンガ部門の好調さを維持していた講談社が、全集を、それも少しばかり力の入ったものを出しているのが驚異である。
時代は、『文学全集』とフォークの時代は終わり、ニュー・ミュージックが台頭し、個性の時代と叫ばれはじめ、画一化されたものを嫌っていく、ほんの少し誤解しながら、過去を振り返らなくなっていく。
それは経済的に、バブルと呼ばれているところで頂点に達する。1989-1992年頃のことである。
2007年、最初は河出書房新社のホームページでの告知だった。「え、いまさら世界文学全集!」
わたしは、「世界文学全集」が大好きだ。特に全集という言葉に強く惹かれる。なぜかはわからないが、見栄っぱりな性格のせいではないかと思う。
そして、ほんのわずか、幼き頃、読んでおけば良かったと思う悔恨の念。
当然、購入してます。全24巻が6巻増えました。そして後悔しないよう読んでいます。
たぶん、わたしと同じ、または上の世代は、ほんの少し『世界なんとか全集』に渇望と嫉妬と反省を持っているのではないかと思っています。
いまからでも遅くはない、読みましょう。
少年少女向け(Juvenile) 1950-1960年
懐かしいといえば、子ども向けの全集本である。学校にあったものを読む。
アニメ『世界名作劇場』の、『フランダースの犬』を見て、その最期に感動してしまうと、科学もの、推理ものしか読んでいなかったからなあとは思ったけど、予備知識なしで見るおもしろさも知った。
けど、知らないより知っているほうがいいだろうし、また鮮烈に記憶することができるのも子どもの特権である。
オリジナルがいいとは言い切れないが、後味だけ良いものを、レベルを下げて読ませるのも、間違っているように思う。
選択の難しさを、大人は子どもたちに持っているように思う。