2017年 日々酒感
2017年12月31日
今年、最後は、『時間のないホテル』 ウィル・ワイルズ(Will Wiles)
SF叢書のひとつとして出版されたけど、どちらかというと、ホラーなんだけど、前半までの描写が素敵であった。
なんとなく愛着が沸く。
あと、ひとつ『猫は宇宙で丸くなる』、フリッツ・ライバーの「影の船」 Ship of Shadowsを収録している。
この凄い名作を読んでくだされ。
「チックタックとわたし」 Novice ジェイムズ・H・シュミッツ(James H. Schmitz)も、素敵、でもね、忘れちゃいけないのが、「共謀者たち」 The Conspirators ジェイムズ・ホワイト(James White)なんだよね。
結局、宇宙病院シリーズは出なかったけど。
『生存の図式』 The Watch Below ジェイムズ・ホワイト(James White)は、なんとかしてほしいなあ。
サバイバルもののひとつの頂点である。
復刊しても売れるかと言われると困るのだが。
船の丸い窓を見るとなんとなく、思い出すのである。
今年もありがとうございました。
来年もよろしく。
ヴァージョンアップをしなければならない部分も多いけど、地道に行います。
2017年12月29日
困ったことに、PKD『シミュラクラ』が、やっぱりわからない。サンリオSF文庫で2回、今回改めて読み直すけど、理解できない。
『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、『火星のタイム・スリップ』、『最後から二番目の真実』の最高作三作のあとに出た作品であり、なんらかの重さがあるのだろうと思っていたのだけど、感じられない。
最高と最低を行ったり来たりしている作家であるとは思っていたけど、『銀河の壺なおし』と『シュミラクラ』は極北であろうと思われる。
改めて、読めてよかったというべきか。
大瀧啓介(おおたきけいすけ)の『翻訳家の蔵書』を読む。一年前の出版である。読むかどうするか迷ったすえに読む。
この翻訳家独特の蘊蓄の傾け方をあとがきや解説で十分に知っているだけに躊躇するものがあった。
今回、読んで、また新たに思わされた。外連味などというと、怒られそうだが、その外連味のない主張、ごくごく真っ当なのである。
全面的に賛成するわけでもないが、和製英語の問題について、わたしは、特に人名については、なんとかすべきではないかと思う。
あまりにもいい加減。
特に中国、朝鮮の方の名前の日本語読みはやめませんか。きちんと原音読みをすべきだと思う。
英語読みという最悪な例があるのだから、日本人が同じにする必要はない。ワグナーじゃなくてヴァーグナーであり、ジュリアス・シーザーでなくてユリウス・カエサルだ。
英語ではイワンをアイヴァンと読んだりする忌まわしき習慣は是正すべきだ。
プライバシーというよりアイデンティティーの問題が名前の読みにはある。
日本人も「ヤマサキ」を「ヤマザキ」と呼んでも気にしないひともある。あ、わたしも関西でないので「アメミヤ」であって「アマミヤ」ではない。
それほど気にしてはいないのだが、これはこれで気にすべきかも。
いまの60歳前後のひとは、はまる人ははまるのであるが、ワープロ、パソコンに凝るのである。
成長過程にあるものは何事であれ、おもしろいものであるが…
大瀧啓介の翻訳の凄さはここにある。『グローリアーナ』 Gloriana マイクル・ムアコック(Michael Moorcock)
ご一読あれ。
2017年12月25日
映画『オデッセイ』を見る。遅ればせながら。2016年2月公開だから、いつのまにか2年近く見なかったわけ。原作は『火星の人』 アンディ・ウィアー(Andy Weir)で、出た当時に読んでいる。
おもしろかったので、映画はどうなのかなとは思っていた。評判は良かったのでいずれ見ようと思っていて、ようやく見る。
原作を大事にしているように感じられた。おもしろかった。結末や途中経過もわかっているのだけど、楽しめた。
火星に取り残された男のサバイバル、小説では芋を作る過程はすごくおもしろかった。火星で芋、ありえないでしょ。カロリー計算のくだりもあったけど、映画では簡単になっている。
なによりも大事なのは、どこかしら悲壮感のないところ、これがヒットの条件だったみたいに思える。使命感とか、運命とか、そういったものの緊迫感を盛り上げるのではない構成がいい。
なによりも自分で考えないといけないのである。コミュニケーションを取るのにも時間差があることが、重要だったのかも。
サバイバルの嚆矢といえば、『ロビンソン漂流記』 ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)が有名。
それと、『十五少年漂流記』 Deux ans de Vacances ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)である。原題は「二年間の休暇」完訳版は集英社文庫にある。
続編もある。ふたつとも非常にポジティヴに生きる姿を描いた作品で、子供むけの読み物の定番である。
しかしだ、そんな楽天的なことがあるはずがないじゃないか、もっと人間はドロドロして、閉鎖的な状況になれば、悪い方向にしか向かないものなのだと思ったのかどうかわからないが、つい最近新訳版もでた『蠅の王』 ウィリアム・ゴールディング(William Golding)。
作者はノーベル文学賞作家。
生き残るのは至難の業であり、どこかしら奇跡的な香りが漂う。
『エンデュアランス号漂流』 Endurance アルフレッド・ランシング(Alfred Lansing)は南極大陸探検に赴き、2年の漂流ののち乗員全員を生還させた奇跡の物語である。
リーダーのアーネスト・シャクルトン、現実世界で会うと、すごーく対応に困るひとなのではないかと思うのだが。オーラが見えると怖いよね。
2017年12月16日
最初に読んだのが、何だったか、さっぱり思い出せない作家もいる。だいたい思い出せるはずなのだが、それができない。今回『日本SF傑作集3 眉村卓』を読みながら、はてさて眉村卓の最初に読んだのはどの小説だったか、まったく思い出せないのである。確かにストーリーラインは似たり寄ったりだし、アイデアもそれほど驚く作家でもない。けど好きな作家なのである。
『僕と妻の1778話』は、ガンで余命一年と言われた妻のために、自分ができるのは作品を書くことしかないと亡くなるその日まで一日3枚をノルマとし書き続けたショートショート集である。
眉村卓は1934年(昭和9年)生まれである。自分の母が昭和10年である。両親の世代なのだなあと思う。個人の素質も大きいのだろうけど、あふれる真面目さをいつも感じていた。
ライトノベルという言葉もなくヤングアダルトと言われた時代の『なぞの転校生』『ねらわれた学園』。
インサイダーSFと呼称したその集大成の『司政官』シリーズ、特に『消滅の光輪』には思い入れが強い。
自らもストーリーテラーではないと言っている。それだからこそ、ゆったりと流れる河のように、肯定、否定を繰り返す検証を進めながら、立ちふさがる問題をどのようにクリアすべきかを思考する「司政官」は、実に素敵な物語になったのだと思う。
今回、改めて読んでみて思ったのは、短編の味わいはロバート・シェクリイ(Robert Sheckley)に近いように感じる。
超新星化する恒星により吹っ飛んでしまう惑星のために孤軍奮闘する司政官の姿を描く『消滅の光輪』と、その制度の行く末を書く『引き潮のとき』
非常に得難い作家であり作品だと思う。強烈な個性の輝きを有するわけではないけれど、こうした作家が裾野を広げ続けたことが、いまの日本SFの隆盛があると思う。
2017年12月11日
ロジャー・ゼラズニイの『虚ろなる十月の夜に』を読む。最晩年の一冊で、クトゥルー神話ものだということであるが、出来は今一つ。
往年の魅力はないが、それらしさは感じられる。
ストーリーよりも雰囲気というか、描写、書き方がうまい作家で、長編よりも短編に魅力を感じる。
改めて、傑作集を組んでも充分に売れそうな気がするのだが。
いかがであろうか。
2017年12月2日
1974年、高校生だったぼくは漫画家になりたかった。でも、そんな想いを打ち砕いた作品が宇宙戦艦ヤマトだった。
一回目を見たぼくは目が点になった。こんな複雑なものを動かすのか。
人は努力をすれば認められる、それは嘘だ、大人の嘘だ、努力すれば必ず報われる、そんなことはない、努力以外が必要になる。
みんなが幸せになる社会はありえない。それさえいわず大人は騙す。
自分の才能の無さを自覚させられるのは辛い、のちに打ち砕かれるほどのショックを与えられたのは大友克洋の『童夢』だった。
『「宇宙戦艦ヤマト」の真実 -いかに誕生し、進化したか』 豊田有恒、初期のアニメにかなり関わっていたのはもろもろの資料から知っていたけど、作家としての資質はSFではないのではないかと諸作を読むと思っていたが、業界への貢献度はそれなりに高い。
しかしだ、『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 -西崎義展の狂気』 山田哲久/牧村康正が2015年に出ており、十分に書きつくされているように思う。
強烈な個性というか、芸術家のなかにビジネスマン、いや興行主が飛び込んで、「ヤマト」を自分のものにしてしまった。その過程は子供の手からおもちゃを奪うような酷ささえ感じられるし、己のために周囲をすべて絞りつくすほどの、それでいて自分は正しいと感じる傲慢さを有している。現実世界には、こういうタイプはいる。
できるかぎり近づかないようにすべきなのだが、超新星なみの輝きを放つため、引き寄せられてしまうのだ。もちろん、ことがあればブラックホールと化す。
今回の豊田氏の『真実』は、書き尽くされたことが大半であり、取材にきた大新聞に対する恨みつらみのように感じられる。
それだけ、「ヤマト」に関するショックは大きかったのだろうし、改めて自分の主張を語っておきたいとも思ったのだろう。
西崎義展は2010年に亡くなっている。しかし、作品はリメイクされている。
素晴らしい設定や絵に、くさいセリフに浪花節のストーリー、それに惹かれるのはなぜだろう。
そして「ヤマト」がなければ「ガンダム」は生まれなかった可能性が高い。スター・ウォーズの三年前に、これほどの作品が作られたのは素晴らしい。
希代のインデペンデント・プロデューサー、魅力的な興行主、才能をすする詐○師、好きもの、多面的に人を評価すべきだろう。
作品はそうではない、いいものは良く、悪いものは悪い。
2017年11月27日
俺には関係ねえと思っていたことが、いきなり降り注ぐと、実に、実に驚くことになるものだなと感じることになる。
アドセンスからの警告メールが。
要約すると「おめえっちのサイトをチェックしてたらよお、コンプラい餡巣違反を見つけちまったんだよお。いけないことなんだよお。わかるかあ。わかんねんだったら、おら、サポートセンターなりヘルプを見ろっちゅうの。
な、そのまま放置しとくとどうなるか、わかるか、実力行使にでるしかないんだよ。え、どういうことになるか、広告が出る場所が真っ白け餉餉餉餉になるんだよ。わかる。ペナルティはかかんないけどよ、二度とアドセンスは使えないんだよなあ、気の毒によお、悪いけど、そんなことになる前にさっさと直して、ちょ。わかったあああああ」
あくまでも要約です。何がコンプラ違反なのかというと「公序良俗に反するページにアドセンスを張らないでちょうだい!」という部分に抵触していると。
家族で見ていて、恥ずかしくなるような、気まずくなるようなページ、俗にいうポ○ノや、アダルトのページにはだめよという部分に抵触していると。
ええ~、わたしのサイトはリストサイトでありまして、翻訳作品の紹介というかデータベースでありまして、かようなものは…絶句。
ありました。ええ、かなり前に作ってあったフランス書○文庫のリスト、ええ、ここには書けないような署名がずらりと。
逆にいえば、いままでよく放置されていたなと思います。
一旦、削除しました。広告を消すのが面倒なので。けっこうな物量があったので。
ついでに浪速書房のやばそうなものも、削除しました。アドセンスを消して復活させます。
しかし、マルキ・ド・サドやD・H・ロレンス、マゾッホにテリー・サザーン、ジョン・クレランドにカサノヴァは文学になるのか。
ジャン・コクトーには『大股びらき』という本もある。日本にも来日したこともある芸術家である。有名なのは『恐るべき子供たち』。そのまま小説のテーマとして、「アンファン・テリブル」というのが存在する。
ある有名なミステリーが、このアンファン・テリブルである。
しかし、警告を受けてやはり影響はあるようだ。伸びない…
2017年11月18日
レイアウト変更を懲りずにする。余分なものを徹底的にはぶく。
当初考えていたレイアウトにようやく近づいた。各ページに検索窓をつけたかったのだが、思うに任せず、レイアウトよりデータ重視していたけど、なんとか全翻訳作品の90%くらいの収録率にはなっているように思われる。
今後は新規と落ちてしまったデータを拾うことになる。細かくてめんどい作業になる。
レイアウトを訂正するのも使い勝手をよくするため。
某ビジネス誌サイトだが、全画面広告やらアンカー広告(スマホの下側に出てくる広告です)まで組み込んでいてフローティングボタンまでアドセンスの公告の下になって隠れたり、それに動作がおかしい場合もある。
定期購読者を増やすなら、十分な検討をすべきじゃないかと思う。
全画面広告は、見ていると自分がうざく感じるからやっていない。アンカー広告はフッター配置をしたからカットした。あまり効果はだしてなかったようだ。フローティングボタンが見えたり見えなかったりするので、具体的にどんな対応方法があるのかまったくわからなかったのでフッター化して、取りやめた。あるかないかの収益を追求するよりも操作性を優先させるべきだと思うから。
そりゃある程度の儲けは欲しいので、すべてを犠牲にはできないけども。
サイトをどのように構築すべきかわからない場合、利益追求しなければならない場合には、なんでもかんでもやってみるのは確かに大事なのかもしれないけど読み手の感じ方を無視する表現には違和感を覚える。
最近の公告が全体的に無節操になっているのはいかがなものかなと思う。
最大の効果を生むのが、無節操ではないはずだ。
『女王陛下の航宙艦』 クリストファー・ナトール(Christopher Nuttall)、どっかで聞いたような題名だなと思ったが、『女王陛下のユリシーズ号』 H. M. S. Ulysses アリステア・マクリーン(Alistair Maclean)の流用化と思った次第。
原題はまったく違うので、編集がつけたのかと思うけど…
『ギャラクティカ』である。テレビドラマの一エピソードを見ているような感覚に襲われた。それこそ眼がグルリと回ってしまった。
眼がグルリと回ると、白目になると思うのだが。それはそれとして、出来は悪くない。『ギャラクティカ』と『彷徨える艦隊』を足して、三くらいで割った感じ。二ではないんだよね。
続巻出れば読みます。
You Tube 「バブリーダンス」、あの時代、なんであんなに高揚感があったんだろうね。笑いながら見られるパロディ感が楽しい。
株価がバブル越えを果たしたけども、あのころには未来を信じられる何かが感じられたのだろう、現在では失われた何かが…
2017年11月12日
設定をまた変えた。よくなるまで続けようと思う。
しかし、難しいなあ、余計な部分も削った。動いているから大丈夫なのだろうと思われる。
ファイルのはじめに戻して、そこからファイル途中にアクセスできるように工夫の予定。ファイルが大きすぎるのが問題かなと思う。
しかたない。
フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)の『銀河の壺なおし』が出た。今月には『シミュラクラ』も出る。
この二冊、なかなか新訳が出なかった。映画の『ブレードランナー2049』に合わせて出したんだろうけど、そうでなかったら埋もれていたかも。
読み直したいと思っていたのが、この二冊なので、うれしい。
はっきりいうと、相当、「変」。そこが楽しいのである。若かりしときには、どこが壺(ツボ)じゃ~と思ったもんだが。
2017年11月05日
画面表示で苦しんでいる。そもそもフローティングボタンをつけるとブラウザの幅に影響されるのは承知していたけど、もっとうまい固定方法があるのだろうけど、難しい。
で、ものは試しで、CSSにmin 640px max 920pxの設定にしてみた。
この場合、スマホには640pxで、パソコンには920pxになるのだが、どうやら、min 640px設定にするとだ、スマホでパソコン画面として認識するらしい。
アドセンスは最初の公告は336X280で、二番目はレスポンシブ広告にしてある。
どうやら、640pxだとスマホでの表示は小さくなり、評価が小さくなるらしい。アドセンスに関しては細かいことはアドセンスしかわからず、禁止事項が多いのが困ったものだと思っていた。
思わぬところで、実験になってしまった。スマホで見るとPC版ホームページへの切り替えが存在しているということはスマホ用サイトとして認識するが、その広告の画面表示の大きさも問題らしい。
ネックは画面の大きさだ。元のmin 330px max 800pxに戻すと、スマホでは330pxでスマホ用として認識し、800pxではPC用ホームページとなる。
評価がもとに戻る。思わぬところで実験になってしまった。知ってるひとは知っているんだろうけど、わたしは知らなかった。
なぜ、こんなに悪いのかがわからず悪戦苦闘した結果である。
フローティングボタンが広告にかかりたくないので、苦労してみたが、どうやらあまり関係ないらしい、あくまでも予測であるが、これから何か起こるかもしれない。
しかし、わかりにくい文章だな、我ながらあきれてしまう。
〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉
第三期がクリストファー・プリースト(Christopher Priest)で終了した。ジーン・ウルフ(Gene Wolfe)といい元気だね。
第四期もあるらしい。よいね。何が出てくるのかは未知数だけど、ピーター・トライアスははいりそうですね。
2017年10月29日
久々に、サイトのフォーマットをいじくる。JQueryを少し勉強する。
フローティングボタンを設置する。試行錯誤をしないと、どうにもうまくいかないので、いつも時間がかかる。今回もえらく時間がかかった。
普通にアップロードするだけで、何時間もかかるんだから、嫌になる。一度アップロードし、稼働するかどうかをチェックしてから、再度アップロードする。大変なんだよね。
おまけに今週は雨ばかり、今は台風だ。うんざりしているのだが…
設置してみたフローティングボタンは便利だ。でも、もう少し工夫の必要がありそうだ。
スマホでの利便性を向上させるために、一部に変更させている部分がある。全体にいきわたるまでは、まだまだ時間かかりそう。
このサイトのコンテンツは鬱蒼とした森の奥に、山小屋風の憮然とした建物があり、入り口は無愛想なんだけど、中身は凄いということを目指したんだけど、やっぱわからないよね。
2017年10月22日
『日本SF傑作選2 小松左京 神への長い道/継ぐのは誰か?』、「地には平和を」「時の顔」「紙か髪か」「御先祖様万歳」「お召し」「物体O」「神への長い道」「継ぐのは誰か?」を収録。
小松左京の長編をはじめて読んだのは、『日本アパッチ族』である。それははっきりしているのだが、短編が「もあ~」としている。もしかしたら「牛の首」かもしれない。あの恐ろしい恐ろしいお話である。
あまりにも怖すぎて、それからいろいろ読み始めたように思う。すでに超有名作家であった。
閉鎖空間内の状況、もしくはある異常な状態におかれた場合、ひとはどうなるかを表現するのが素晴らしい作家というイメージにつきまとわれている。「物体O」でぶっ飛んだわけで、『日本沈没』『首都消失』などの、失われたものをいかにあきらめ、未来をどのように構築するかというのが好き。
「地には平和を」や「時の顔」、「お召し」でも、変化を肯定した上でどのように行動するかが書かれている。ここが黎明期の日本SFにとって、とても大切だったのではないだろうかと思う。
未来を信じる、前を向いて突っ走る、そうしたひとに対する愛情が感じられる作家がいてくれる安心感が、他の作家の、わたしは何を書いても大丈夫だということに繋がっている。
いい時代のいい作家だったのと思われる。
ラジオなどの放送作家だったので語り口は抜群、大阪弁の「のり」もよく、与太話を書かせると、これまたいい。「紙か髪か」は、その中でも最高。大好きな短編。
しかしだ、東京はよく犠牲になる。
ま、それはそれとして、ほれ、がんばれ、阪神タイガース。
2017年10月15日
ノーベル文学賞が、カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)に決まった。『日の名残り』しか読んでいない。しかも忘れている。『わたしを離さないで』も読んでみようかなと思って、そのまま。
過去の受賞者はこちらを参照。ノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature) 1901年-
ノーベル文学賞もただいま迷走中な印象を受けるのだが。ノーベル賞のリストも直さなければならないところもあるのだけど、手が回らず。訳されている作家が訳されていない状況になってます。すいません。
『J・G・バラード短編全集4』や『猫は宇宙で丸くなる』を語りたかったが、今回は疲れた。また次回。
2017年10月8日
ああ、壊し屋さんなんだ、どこにでもいるのだなと思ったのが、民○党の新しい党首のお方。ダムの建設中止でも、このひと、シミュレーションをしているのだうかと大いに思われた。
再建の考えのないクラッシャーである。内閣総理大臣でも、そんなことやっている場合じゃないだろうと思われるのにやってしまう。
政治家にはクラッシャーが多いようである。ブルドーザーとかに例えられる場合もあるが、草さえ生えない荒れ野になってしまう。
こういうクラッシャーは、どこの会社にもひとりくらいはいるものだ、権力を与えると悪い方向しか目指さない、そういう方を見抜く目をもつべきでしょと思う。
ただでさえ、きな臭い状況になっているのに、核戦争というありえない状況が勃発しそうである。
1950年代に冷たい戦争という状況の時にSFでは書かれた作品が多い。
『最終戦争の目撃者』 Dark December アルフレッド・コッペル(Alfred Coppel)、『破滅への2時間』 Two Hours to Doom ピーター・ブライアント(Peter Bryant)、
『コロサス』 Colossus D・F・ジョーンズ(D. F. Jones)、『世界の小さな終末』 A Small Armageddon モルデカイ・ロシュワルト(Mordecai Roshwald)、『レベル・セブン』 Level Seven モルデカイ・ロシュワルト(Mordecai Roshwald)、『コマンダー・1』 Commander-1 ピーター・ジョージ(Peter George)
破滅テーマと言われるものだけど、今となっては古いと思われていたが、まだまだ現実はありえる状況なのか。
敬愛するスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb、ブラックジョークのパロディとして作られたが、題名がなにやら意味深にも捉えられる。
「ジョニーが凱旋する時」 When Johnny Comes Marching Homeのメロディーとともに深く心に刻まれている。
核戦争後を書いた作品には『渚にて』 On the Beach ネビル・シュート(Nevil Shute)、『長く大いなる沈黙』 The Long Loud Silence ウィルソン・タッカー(Wilson Tucker)、『大地は永遠に』 Earth Abides ジョージ・R・スチュワート(George R. Stewart)などがある。
『渚にて』は映画にもなったが、あまり感心しなかった。ゆっくり死の灰が降りてきてオーストラリアに到達するまでの物語であるが、そんな悠長なことは現実にはなく、舞い上がった粉塵により気温は急激に低下して核の冬が到来する。
『ザ・ロード』 コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)も、映画化されたが、こちらは見るのもつらくなる陰陰滅滅たる描写が続く。
ある意味、すごい作品なんだろうけど、辛すぎる。
そんなことはないように願いましょう。
辛い話がつづいたので、最後にネビル・シュートの隠れた名作『パイド・パイパー -自由への越境』 Pied Piperは、第二次世界大戦中のおじいちゃんと子供たちの逃避行である。
逃避行にしても救いがある方が望ましい。
2017年10月1日
『人類補完機構全短篇3 -三惑星の探求』 コードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)の三冊目が出た。
ようやく全貌を読めた。「シェイヨルという名の星」に出合ってから、40年だよね。感無量。その衝撃からか、読んだ順番も覚えているほど。たいてい忘れるのだけどね。
はっきり言ってしまうとキャシー・オニールものは思ったほどではないよねというところ。けど伊藤典夫さん訳から酒井昭伸さん訳になると、なんというか酒井節とでもいえるような用語の使い方などになっていて、思わず訳者が違うとこうなるのねというのを感じさせてくれた。酒井様、悪い意味ではございませぬ。誤解なきようお願い申し上げます。
もともと遠大な未来史であり、事件を断片的に書かれた作品群である。人類補完機構そのものの目的、役割も不明であり、漠然とした支配体制にある象徴みたいなものでもある。
「君臨すれども統治せず」という言葉があるが、まさにそれを演じているように感じられる。
コードウェイナー・スミスが感じた様々な事象をSFという表現を使って、巧妙に表現したと思われる。今回改めて、すべてを読んでみて、「スキャナーに生きがいはない」にしても「人びとが降った日」や「スズダル中佐の犯罪と栄光」などでも、もしかしたら本人が体験したことを昇華したのではないかと気になる。
具体的に事件には言及できないものの、それをSFを利用すれば書ける。そのため漠然とした自分のモラルや感情を排するために人類補完機構を作った。そんな気がしてならない。
SFには風刺という側面もある。
そんなことを考えなくても、SFが生み出した世界最高峰のSFがここにある。
やっぱ、すげえよなあ。
2017年9月24日
『日本SF傑作選1 筒井康隆 マグロマル/トラブル』ハヤカワ文庫JA 日下三蔵編。
SFを読みだしたのは、中学くらいである。洋物から入ったせいか、和物はあまり読んでいなかった。当時『日本沈没』がベストセラーになっており、和物に手を向けるのがなんとなく時流に乗るということであり、自分的には抵抗があったのである。
この辺が相当なひねくれものである。今となれば、あほな奴だなと思うのではあるけれど、それが何かしらの美学でもあった。
遅れて読みだしたわけで、おそらく最初は星新一であろうと思う。
筒井康隆もそのひとりである。「トラブル」でぶっ飛び、**こを食べる「最高級有機質肥料」でびっくりし、「フル・ネルソン」「たぬきの方程式」などのナンセンスというより、少し理屈っぽい作品の方が好きであった。
だから今でも「バブリング創世記」は、?って思ってしまうのだが。
中期の名短篇集と思う『ウィークエンド・シャッフル』から「佇むひと」、何度読んでも気色悪い「顔面崩壊」に「蟹甲癬」
一応、揃ってるねと言われるラインアップ。
「走る取的」を入れてほしかったなと思う。SFと銘打たれているだけあってホラー系がない。「熊の木本線」くらいはと思うが…
『緑魔の町』というのがある。子どものころ読んで本気で怖かったのであるが、作者も題名も忘れてしまった。30年経ってから筒井康隆であることを知ってびっくりした記憶がある。
『時をかける少女』だけではなく少年少女ものもうまかった。
絶大なる影響を受けた作家であった。一度お会いしたいと今でも思っている。作品と作者は別であるというのを凄く考えさせてくれた作家だった。
2017年9月14日
ジェンダー、性差といわれる。国際的にはジェイムズ・ティプトリー・ジュニア記念賞(James Tiptree Jr Memorial Award) 1992年-があり、日本ではセンス・オブ・ジェンダー賞(Sense of Gender Award) 2001年-がある。
どちらか一方の性がいなくなってしまった、もしくは激減したらという想定がわりと多いのは致し方なしなのかもしれない。
よしながふみの『大奥』では、設定のおもしろさだよねと思われる。では男だけの世界はどうなるのかというと、『三国志』なんぞも男しか出てこない。歴史ものでも圧倒的に男だ。
封建主義の世界では、そうならざるを得ないではある。ローマ世界においても男。汗臭い世界だ。
現代の状況で、女性を書かないとなると相当に難しい選択を要求されるように感じていた。
『栄光の旗のもとに -ユニオン宇宙軍戦記』 H・ポール・ホンジンガー(H. Paul Honsinger)
ここのところのミリタリーSFはともかく出して売れたら続編をだすというなんというか、刹那的な状況である。確かに先の読めにくい世界ではあるが、もう少し確信的に出せることはないのかと思われる。
この作品も無愛想なカバーなので、売れるのかとも思われた。
女性が出てこない、いいのかそれでと思ったが、女性が出てこない理由も書いてある。ミリタリーSFも所詮はスペースオペラ、過去には『銀河英雄伝説』という男ばかりの名作もある。
しかしなあ、これ本国で売れたのかと思って調べてみたが、それなりに売れたらしい。続編もある。現在 Man of War シリーズとして4冊出ている。
中原さんの翻訳の安定感も素晴らしい。クリス・ロングナイフは、終りでしょうか、お待ちしております。
女性を書かなくても、成り立つ男の世界。
う~む、困ったことに最大の問題点は、それが大変、おもしろい!
2017年8月20日
ケーキがあるんだよね。
箱には『○○放送局提供 ホニャララ~』と書いてある。ドラマの題名だよね~。
さあ、箱が開きました、最初から拡大版で大きめにカットされたケーキが出ます、けどさあ、何度も食べた味で、これはすごいというものは期待していないんだけど、どこか違うものを期待している。
出されるカットケーキには、いちごだったり葡萄だったりラズベリーだったりトッピングは変わるんだけど、なんか同じテイスト。
「あざーす」って言っても心から言っているわけではなくて製作現場は大変だよね、上からはプレッシャー、スポンサーもからんできたり革新的なものを求めてもこけたら誰が責任取るのかって。
言ってる自分が取ればいいでしょ。と思うんだけど違いますかね
アニメではワンクール十三話続くのが普通、ドラマ十話が圧倒的、いつから減ったんでしょうね。
まあ、それはいいんだけど、ドラマによっては160片だったり50片だったりするんだよね。大変だあ。
難しいと思われていた年刊SF傑作選も十年め、大きな成果をどーんではなく小さい成功積み重ねてきた感じ。
『行き先は特異点』年刊日本SF傑作選 編集:大森望&日下三蔵 創元SF文庫
大森さん、よかったね、十二冊はいけそう、十二ってなんか意味深いものがありますね。
SFの拡散と浸透は、進んだというよりなんか別のもんになりつつあるよなあ、ジャンルの崩壊ではないかと思われる。
2017年、君の名は
『君の名は。』を見る。
遅まきながら、ようやく見る。前半は『転校生』で、それに『たんぽぽ娘』 The Dandelion Girl ロバート・F・ヤング(Robert F. Young)の要素をプラスして、なおかつデザスター回避という大技をしこんでおいて、「キレ」よく落着させるというアクロバット。
無理がありすぎるよなと思いながらも、わかりすぎるくらいわかるラストに向かって、突っ走る。
や、墜ちるとわかっていても落ちるレミングみたいなものかいなと思いつつも、はまる。
個人的な想いだが日本映画やドラマの悪い部分は、結末の「キレ」の悪さだ。ぐだぐだと引っ張ることが多い。
映画も瞬間の芸術であって、ぐだぐだと説明するよりも映像を見せるべきだろう。多少の矛盾もなにもかも放り出して、潔く、切ってしまうことも必要だろうと思う。
ホラー映画では、わりと使われる「ブチッ」というくらいの勢いは必要だよなと思ってたけど。
マーク・トウェインの言葉だったか、短編小説は人生の断片を見せるというのがある。その輝きを感じさせるのが大事だということだが。
ラストの「キレ」で、大ヒットしたのだろう。もちろん丁寧な造りもあるし、クオリティの高さもある。
ラストシーンは実にアニメ的で、余韻嫋々として忘れ難し…
2017年、夏、野球そのさん
夏の予選も決まりつつ、今年の夏の高校野球も楽しめそう。
野球といえば漫画だ。右に『巨人の星』、左に『男どアホウ甲子園』、極北には『アストロ球団』で、王道は『ドカベン』という位置づけである。
魔球ものといえるものも多い。昔の少年漫画の一面には技術論的な部分もある。特に梶原一騎(高森朝雄)の『巨人の星』と『あしたのジョー』はその色合いが濃い。
だからこそ、なんだか難しい言い方の投げ方を言いたがるのかもしれない。俺の魔球だ。でも、結局シュートじゃないのと。
ずば抜けた能力の選手がひとりいると、チーム全体もレベルがあがるということもあるのだろう。
さて、ようやく本題の野球小説である。野球も動画なんだよね、ひいきのチームがあるかないかで、また見方も違ってしまう、それを小説にしてどうすると思われるかもしれない。
あるんだよね、これが。
『12人の指名打者 野球小説傑作選』 ジェイムズ・サーバー(James Thurber)/他が、よい例である。
アメリカの都会派雑誌の代表格『ニューヨーカー』には、野球ものと言えるものが多いようだ。
映画にもなった『フィールド・オブ・ドリームス』の原作『シューレス・ジョー』 Shoeless Joe W・P・キンセラ(W. P. Kinsella)
眼鏡のエピソードだけで映画を作ったんじゃないかと思える『メジャー・リーグ』、子ども向けの『がんばれベアーズ』
『赤毛のサウスポー』 The Sensuous Southpaw ポール・R・ロスワイラー(Paul R. Rothweiler)、『素晴らしいアメリカ野球』 フィリップ・ロス(Philip Roth)というのもある。
日本では、あさのあつこの『バッテリー』、阿久悠『瀬戸内少年野球団』
変わり種では西村京太郎『消えたエース』に『消えた巨人軍』、西村京太郎はトラベルミステリー、十津川警部で有名だけど、初期の作品には消失ものが多い。
タンカーは消すは、都市は消すは、あげくのはてに、全日本人を誘拐するは、というとんでもトリックを書いている。
かんべむさし『決戦・日本シリーズ』は阪急と阪神が戦っていればという作品。個人的には懐かしい。
まだまだいっぱいあります。
2017年、夏、野球そのに
野球論とビジネス論は相性が良いのかな、監督といってもオーナーが居て、選手が居て、所詮中間管理職に過ぎない。
多少失敗しても、部下の責任に押し付け、おれは悪くないとのたまう人間性の欠如した管理職とは違い、野球の監督は大変である。叩かれる、新聞にもファンにも、従う選手からも裏切られる。
悲惨である。それでも一度君臨するとおいしいらしく地位を離そうともしない。人脈にしがみつく媚びへつらいしながらも地位を確保しようとする。
名選手必ずしも名監督にはなれないとか、言われながらもやりたがる。
う~む、悪口に近いか、さてさてそんな監督でございますが、やっぱりなんか言いたくなるようでして、かのぼやきの野村監督の著作の多いこと、多いこと。
130冊以上あるようですね。最初のころの著作は、けっこう読ませていただきました。
原辰徳から江本孟紀、長嶋茂雄、王貞治。王貞治の著作が少ない。あまり見かけたことはないなと思っていたけど、びっくり。
珍しいところでは、桑田真澄、技術論は読みごたえがある。渡辺俊介の著作もよかった。
「ベンチがアホやから野球ができへん」正確には「あいつらアホやろう。オレの言うこと分からんのやから。野球できへんわ」とのこと。
名言は作られる。言った言葉は独り歩きしてしまい、本来の意味とは違う言葉に置き換わる。怖いねえ。
2017年、夏、野球そのいち
野球である。野球は筋書きのないドラマだ、だからリアルタイムがおもしろいと思われがちだが、文章にしたときに現実よりも活き活きと書かれることもある。
山際淳司に「江夏の21球」というドキュメントがある。1979年11月4日、大阪球場の近鉄対広島、3、4で広島が勝っていた。9回裏の攻防である。
ライブ映像を見ることができた幸運なひとりであるが、一体何をどうすれば、満塁、しかも大舞台でヒットもフライも打たれてはいけない状況で、いかに防ぐか。
可能性を探りながら少ないチャンスを活かす。勝負時には思考を表面に出してはいけない。
勝利者も、敗者も一世一代の勝負にはあとから語ることができる。その時には語れないことも時が語らせてくれるようになる。
脇役であっても長く語り継がれる物語の登場人物なれるのである。
わたしがノンフィクションを読むのはリアルタイムでない再構成された可能性を楽しめるから、「そうだったんだ」だけでない広がりを感じさせてくれる。
中でもスポーツノンフィクションはおもしろい。
野球は筋書のないドラマだ、だから後から検証する余地がある。
どんなスポーツでも、「もしあの時が…」がある、終わってからも楽しむ余裕を持つべきだろうと思うけど。
ロバート・ホワイティング(Robert Whiting)の諸作は、かなり楽しませていただいたものだ。比較文化論的な視点も多いけど、純粋に好きなんだなと思える。
『マネー・ボール -奇跡のチームをつくった男』 Money Ball マイケル・ルイス(Michael M. Lewis)、映画はむぅという感じだったが、本はおもしろい。
近藤唯之の著作には、ほんの少し疲れた時に読むとなごみになった。独特の表現と、前向きなスタイルは大好きであった。
玉木正之は、批判的な姿勢が心地よくも、またかと思うこともありであるが、公正な視点を保とうとしているように感じ取れなくもない。
今年のペナントレースは終わりに近いのかい。あまり盛り上がりなせんなあ。
2017年、夏、登山もの
暑い夏が来た。夏休みがほしいと思うのもいつものことだが、最低でも二週間くらいあるとうれしいのだけど。
夏と言えば、スポーツ、水泳、野球にゴルフに登山。
と、くると著作が多いのが登山もの。冒険ものでも圧倒的に登山の逃避行、追跡行が多い。特に雪山、人間なにかしら肉体的、精神的に酷使すると、その先に見えてくるものを書きたくなるらしい。
とても楽しいとは思えないものを追い求めることの快感は、だらけた酒飲みのわたしにはけっしてできないことの一つである。根性もないよなあ。
『山頂に立つ -登山家たちのサバイバル』 Epic editor:クリント・ウィリス(Clint Willis)は名作のおいしい部分の紹介アンソロジー。
かって、二見書房からこういう叢書が出ていた。
The Mountains 1965-1968年
海外山岳名著シリーズ 1971-1978年
あかね書房は、世界山岳名著全集 1966-1968年というのを出してます。
昭和30年代に登山ブームがありました。歌声喫茶などでいっぱい歌われたのでしょうね。山男や山をモチーフにしたものはフォーク・ソングでも多い。
ワンダーフォーゲルという名称になったころ、登山部、山岳部とはまた違う楽しみを求めてきたのでしょう。
ベースボール・マガジン社も野球ばかりでなく、さまざまなスポーツの叢書を出してます。山岳名著選集 1976-1978年これもそのひとつ。
当時、重装備で汗臭い男の世界から、山ガールが出現し、現在は高齢者の登山も流行っている。自然と向き合うわけだから、当然危険はつきものだ。
わたしは大丈夫という思い込みは高齢者によくみられる思考パターンだが、そんな罠にはまっていると謙虚に捉えて、万全の準備を整えていくべきである。
山は昔から変化はなく、変わったのは装備と登頂するルートの改善でしかない。人間の体力も変わっていないのだから。
2017/07/10
「わたしは悪い女なの」
「わたしは謎の女なの」と言われるのはどちらがいいと思いますか。
『J・G・バラード短編全集』 The Complete Short Storiesを読み始めている。悪い癖で買ってすぐ読むのではなくて、しばらく積読をしてしまう。
三巻くらい揃うと読まなければと思い始める。一巻目だけだと、気合が入りすぎて、ろくな読み方をしなくなってしまう。
ただでさえいい加減なのに、さらにいい加減になってしまう。
おっといけない、それはこちらに置いといて、悪いか、謎か、どちらもややこしいのであって、二者択一は嫌だよねと、つくづく思う。第三の選択はもちろんあるのだが、逃げてどうするとも思う。
つまり、『ヴァーミリオン・サンズ』はファム・ファタール(Femme fatale)の世界であって、まとめて読むとインパクトが分散されてしまい、なんだかなあと感じる可能性が高い。
今回、パラパラと収録されているのを読むと最初の頃に読んだ印象がよみがえってきた。
これは、違う作品が入っている中に、収録されるのが正解なのかなと思える。
それにしても「最後の秒読み」などのアイデア・ストーリーが多いなと、また、それでなくては当時の雑誌には売れなかった。『デス・ノート』ってこれだっけと思い出す。
初期の傑作は「アルファ・ケンタウリへの13人」に尽きるのではあるが。
悪女もんで思い出すのは、アンドリュウ・ガーヴ(Andrew Garve)、カトリーヌ・アルレー(Catherine Arley)、パトリシア・ハイスミス(Patricia Highsmith)、ルース・レンデル(Ruth Rendell)などなどである。ミステリでは多いよね。
悪気ない悪女タイプを描くのが作家の腕の見せ所であって、古今東西様々な作品がある。女性が女性の悪さを書くのは容赦がない。
それを見つけるのは素敵だ。
島本理生『ナラタージュ』、今秋映画公開だが、ずいぶん前に読んだけど、涙があふれる傑作だけど、やっぱこれ、悪女もんだよね、究極の悪女もんだよね。違う?
そういえば、この時期になると思い出すのは、赤江瀑。
2017/07/02
理由はいかにしろ、ブログなりHPなりで外部に発信するには、なんらかの動機が必要であろうとも思う。
当サイトでもアドセンスはやっているが、はじめたのは、ここ3年ほどである。それ以前は全く興味はなかったわけではない。しかし時期尚早と思っていたのである。
小遣い稼ぎで、参入してくるひとも多いのだろう。
しかし、難しい。当サイトでも、コンスタントに一日、千セッションを越えられそうになっている。だいたい800~900であった。
一日ページビューは2000前後である。
総ページ数は4万ある。
記事数だ、文字数だというけれど、ここまでの規模にしては収入は思ったより少ない。
いったい皆さんどうやっているのだろうかと不思議に思う。これだけ儲かったとかいう記事を読むと、やっぱ少ないのかなと思えてしまう。
でもねえ、そんな期待できるほどではあるまいと思っているのがいいのかもしれない。
道半ばにして、どこまで続くやら。
書きたいことは別にあったのだけど、まあいいか。
少し夏バテ…
2017/06/25
『時間線をのぼろう』 Up the Line ロバート・シルヴァーバーグ(Robert Silverberg)
が、出た。なんと懐かしき伊藤典夫氏翻訳である。創元SF文庫には中村保男氏訳の『時間線を遡って』があった。伊藤典夫氏訳はSFマガジンに翻訳されたきりであった。
実は両方とも読んでいる。一時期、シルヴァーバーグにはまり、徹底的に読んでいた。それと伊藤典夫氏訳の違いに興味があり、違う訳がある場合には探し出して読んでいたのである。
この作品は、どちらかというとエンターテイメント路線で、中村保男氏の訳は、弦楽四重奏みたいな重厚感を感じて、伊藤典夫氏訳にはギター一本の気軽さを感じた。特に結末が、あ、こうなるのという違いにはびっくりしたものである。
どちらが良いとか悪いとかではないけれど、好みの問題だろうと思われる。
中村保男氏の訳では『禁じられた惑星』の、自己主張をできない世界で、いかに翻訳したかという凄い例がある。
『一人の中の二人』とか、コリン・ウィルソンの翻訳など、素晴らしい業績が多い。
けど、『時間線をのぼろう』は、伊藤典夫氏訳が好きである。
解説に傑作集うんぬんがある。ぜひ、その際には「アラリー」、「見えない男」「太陽踊り」といった変わり種を入れてね。
長編は『いばらの旅路』を文庫化してください。異星人に酷い仕打ちを受けるマゾSFが、なぜ文庫にならなかったのか、不思議である。
これと『ガラスの塔』、たいしておもしろくはないのだが『内死』、それから『禁じられた惑星』『不老不死プロジェクト』の復刊を願う。
アニメにはまって抜けられない、ぼおと見てると廃人のような気になるのである。たまに気力を奮い起こし更新中。
『この素晴らしい世界に祝福を2』のエンディング、いい、よく似た名曲もあるけれど、やっぱフォークは原点かと思ってしまった。
雨宮天(あまみやそら)の声も甲高い、最近のアニメの声優はみな、甲高い。雨宮はあまみや(関西方面はこう呼ぶ場合が多い)あめみやのふたつの読み方がある。
しかし、甲高い声ばかりといのは…
2017/06/18
中公新書『日本ノンフィクション史』武田徹著
このサイトには、ノンフィクションの翻訳書名も収録してある。なぜ、収録したのかと言えば、SFと事実とは切っても切れないから。最新の発見は、新しいSFが生まれるからである。
最新の科学技術に接していないと、理解できない場合もあるので、なんとなく収録しなければという思いに駆られて。
ノンフィクションは、眼につくものを読んでいたのも事実だが。
こんなにスピリチュアルと経済関係が多いなんて、思いもしませんでしたけど。
ノン・フィクションとノンフィクションの表記、そんなもんはどうでもいいのではないかと思うかもしれないけど、1960年代前半までは「ノン・フィクション」表記が多い。
いつごろから「ノンフィクション」になったのかとても不思議には思っていたが、この本で謎が解けた。表記は一定ではなく時代によって変遷する。個人的には中黒の「ノン・フィクション」の方がいいとは思うのだが。
「ノンフィクション・ノベル」というジャンルもある。作家では、コリン・ウィルスン、日本では佐木隆三、犯罪ものの際には、このパターンが圧倒的に多い。
しかし、この著作の中ではあまり触れられていない。社会、紀行という部分に集約して書かれている。膨大な資料の中から原初の萌芽を求めていくと、成り立ちから紀行、紹介に行きつくのであろう。
そこからルポルタージュ、記録文学、ノンフィクションへの流れを見せるのが、この分量では限界だろう。
力作である。
視点も大宅壮一を中心にしているが、「こびない、ねたまない、おとしめない」という通史を書くうえでは必要と思われるルールを逸脱していない。
読み応えもあり、最後には、フィクションとノンフィクションの捻じれ加減を指摘し、その境界線の難しさを教えてくれる。
ノンフィクションは事実を書く、それを鵜呑みにする危うさも教えてくれる。どうしても書き手のバイアスがかかるからだ。
指摘したいテーマのために取捨選択をし、多少のねつ造が存在していても、存立してしまう。
見分けるのはどうすべきか、読者であるわたしたちが、これは変だと思う感覚が必要である。
日本語は言葉の壁があり、自由自在にインタビューしにくい状態がある。方法論にこだわる必要はないが、上質なミステリーと同じように自らの手段を公示してかかる必要があるだろう。
過程でさえも作品になりえるのだから。
2017/06/03
気になっているのだが、アニメにしても海外ドラマでも本でも、脅威となる異生物があまりにも数頼りのおばかさんが多すぎないかなと思う。
わかりやすくいうと、ゾンビ、動きはにぶくて噛みつくだけ、噛みつかれたら感染するのだが、敵に対する評価もリスペクトもない。
単なる憎悪の対象。
書かれるのは主人公側の事情だけ、こんなのが多い。これでいいのか。
前はもう少しきっちり書かれていたと思う。伝奇ロマン、ヴァイオレンス・ノベルズと言われた代表作な菊地秀行氏の一連の作品でも、それなりに敵方の造形はしっかりしていた。
傾向はあったにしろ、H・P・ラブクラフトのクトゥルーものという下地があったからこそ、それなりの作りこみは必要という思いがあったはずだ。
いつごろから、そんなになったのだろう。
映画では『エイリアン2』、『エイリアン』ではあれだけ強かったのが集団になると「なんだ、これは」に化けてしまっているのだが。
スペース・オペラでは誕生した時から、利口な人間が、どこか間抜けな異星人を退治するとパターンではあるが、どちらかというと集団になることは少なかったはず。
わたしの知識の範囲内であるが。
優秀な異星人対人間では『宇宙船ビーグル号の冒険』につきるだろう。
子猫型完全生物のクアルとの闘いは、ぞくぞくさせるものがあったし、能力対知力でなく、解決方法は育った環境に影響されるという意外なものでもあった。
最近のはただ力押し。
デイヴィッド・ファインタック(David Feintuch)の「銀河の荒鷲シーフォート」の金魚はその大群形式の異星人の典型、この辺を嚆矢とするのではなかろうか。
最近ではというか、わたしの中ではね、ジョン・リンゴー(John Ringo)の「地球戦線」は、おバカ異星人の典型、まっすぐにしか走れないって、「なに、それ」の世界なのだが、アメリカでは受けたらしい。
いっぱい鶏さんが襲ってくると考えるとぴったりするようだ。日本では受けなかったんだろうな、2作で沈没。
『孤児たちの軍隊』 ロバート・ブートナー(Robert Buettner)の異星人もスライムもんだが、こちらは迫真の描写で全5巻邦訳される。
物語的には、敵方もじっくり書き込まれることを期待するんだが、単純な素敵な主人公に、単純明快な敵という図式が多いように感じる。
こんなもんばかり見て育つと、どうなるんだ、柔らかいものしか食べてこないと堅いものが食べられなくなるというか、無意識に敬遠するようになる。
人間は自分の経験したものを、自然に好むものだが、これでいいのか。
え、たかがアニメ程度でそんなに思うなって、しかし、かなり大きな問題だと思うのだが。
2017/05/28
5月、初夏である。4月、5月のアクセスを見ると18~24歳のアクセス数が伸びる。しかも女性が男性の倍近くになる。
おそらくはアカデミックな理由だろうと思う。新入生によるアクセスである。それでも女性が男性の倍というのはびっくりなのだが。
さしずめ、女子学生と25歳以上のヲタ…もとへ、ファンに支えられているのであろうと思う。
男の子もがんばって読んでくださいね。
滞在時間が20分以上が一か月間で230人くらいいます。一番長いのは一時間50分、もともとリンク繋がりで楽しめるように作ってあるので、意図した効果はでているのかなとも思う。
いつも驚くのは65歳以上の方が、コンスタントに来ていただいていること。うれしい。
読書の方はスマホゲームにはまり、家ではアニメにはまり、まったく読めない状態になりました。いかんのだが、データの収集と更新はこまめに行っております。
2016年までは、なんとか終わりつつあります。
しかし、PHP研究所や東洋経済新報社などの経済関係とスピリチュアル系の本が千冊以上ある。
これ収録して意味あるのかと、ふと思うときもあるのだが…
受賞リストも作り直したいし、仕事は忙しいし、暇な時間がほしい…
2017/05/21
風邪から体調を落として、すでに一か月、ようやく体調が戻り始めたが、少しいろんなことに頑張りすぎたのかもしれない。
会社をつぶしてから、今のところで働きはじめて、四年目、慣れない介護関係での相談員やら、管理職をやって、少しこなせるようになってきたかなと思ったら、突然の移動。
悪戦苦闘して約一年、疲れも出るわな。年齢もあるのだろうと思える。
SFにはファースト・コンタクトという異星人との出会いをテーマにした作品がある。メンタリティの違うふたつが出会うとどうなるのか。
上位の出会い、クラークの有名な『幼年期の終り』はこのパターンであるが、下位との出会いはスペースオペラになってしまう。
異質なものとの出会い、スタニスワフ・レムの『ソラリス』、超存在であるものの語り掛けは、人間にとっては何を意味するのか。
現実、異質なものとの出会いはひとは繰り返している。事故や事件を見るたびに、真に戦慄を覚えるのは、あまりにも異質な心だ。
会話をするということは心に触れることであって、それが自分本位のコミュニケーションに過ぎないと触れられたほうに、とてつもない違和感を及ぼすものである。
本人はわからない。触れられたほうに、痕が残る。
哀しいかな、自己防衛と一体になっていることが多いようだが、そうなった環境もあるのかもしれないけども、変えられる環境を変える勇気と変えられない環境を受け入れる許容と、見分けられる叡智が、少し足りなかったのかな。
2017/05/14
年に一回くらい体調がおかしくなるのだが、積もり積もった疲労がどこかで一挙に出てくるのだろうと思われる。
ようやく、少しよくなりかけているのだけど、まだ変。
ゴールデンウィークなどというものはないので、仕事しながらだけど、あせらず直そう。
読んではいるのだが、ろくに進まず、む~
2017/04/30
朝鮮半島がやばい。
「山リンゴの危機」 The Crab-Apple Crisis ジョージ・マクベス(George Macbeth)という短編がある。
懐かしの『年刊SF傑作選』収録作品であるが、エスカレーション理論に基づく、隣人とのケンカを描いた作品、当時面白かったんだよね。相手より強力な兵器による抑止力、成熟度から考えると子供のケンカレベルである。
そこに「爆弾の母」と来たもんだ、どうだこれ以上を出すには核を持ってこいと挑発しているのではないか。
どうしようもないね、解決策を模索もしていない状況になっている。自分も相手のレベルに合わせて貶めているとしか思えません。
地勢的に、その間にある日本は、どうしてもとばっちりを受けざるを得ない。まるで放り投げた石が向こうに達する前に落ちてきてしまうのである。
幼児なみの解決をするよりも、とっとと大人の対応を出すべきだろうと思えるのだが…酔っ払いのケンカに近いのか。
最近、年間ベストのようなアンソロジーが訳されなくなってしまった。寂しいものである。
仕事も忙しくて、三人集まると派閥ができるのだが、そこに新しい要素が加わるともっと複雑になる。それぞれの個性は確かに尊重しなければならないのだが、それでもこれはだめだよねということも多い。
社会人として常識がずれてるなと思うのは会話していれば感じるはずなのに、どこをみていたのか、さっぱりわからない場合もある。困ったもんだ。
ミリタリーSFに「境界の彼方」「棺姫のチャイカ」、少し前の作品を読んだり見たりしている。
「境界の彼方」はよかった。
おもしろいと思うと次から次へと見てみたくなるのは、性なのか。
2017/04/16
20年です!
しかしながら、通過点に過ぎないという思いが強い。
そりゃまあ長くやってれば継続は力とかいう言葉を思い浮かべるのではあるが、まだできていないことが多すぎて、感傷的にはひたれない。
なんてね、登録できていな事項が多すぎて、細かい訂正や、修正がいっぱいありすぎる。
今後一年間の予定は、以下の通り、どこまでできるのやら。
1、雑誌収録作品の明細、SFマガジン、ミステリマガジンのここ3年ほどの明細の充実
2、未登録出版社を可能な限りなくす。
3、スペシャル企画を何か、ひとつ作成したい。
というところを目標にします。
今年もいっぱい出そうだし、楽しみにしています。
2017/04/01
グレッグ・イーガンの『クロックワーク・ロケット』から始まる直行三部作を読む。というか、出版時に読んでいるのだが、読み終わった。イーガンを読むと疲れる。
こちらも年取ったんだよね、集中を持続することがなかなか難しい。物理的な状況がこの世界とほんの少しだけ違う世界を書くのだが、さすがに物理的な素養が皆無に近いわたしにはとても説明などできるわけもない。
背景世界とストーリーのからまりあいを楽しむのがせいいっぱい。
難しいことを考えるべきなのか、気楽に異世界ものとして受け止めればいいのか、常にイーガンを読むときにうろたえる。
この作品に関しては少し疑問がある。ストーリーというか描写がこれでいいのかという疑問がある。
跳んだ世界を構築してあるのだから、物語まで跳躍してしまうと収集がつかない。歯切れの悪い書き方になってしまうのだが、情けないのは読解力か。
短編はいいんだけどねえ。
遅ればせながら、『シン・ゴジラ』を見る。
むかしむかしDATECONというのがあり、そこで見た「帰ってきた○○トラマン」のインパクトは凄かった。あ、いい歳こいても特撮好きと言ってもいいんだと教えたくれた。
アニメと少し違うテイストになる演出だけど、心憎いばかりに、映像の構成美を堪能させてくれました。で、細かいところで「帰ってきた○○」を思い起こしまして。
自然光の下で8ミリで撮るとミニチュアっぽくなくなるなどの細かい話を聞いたように思います。何がどうなったかはあまり覚えてませんが。
個人的に思うのだが、怪獣ものを作ったのなら、やはり変身ものを作らないとと思いますが。
思いっきり、自己否定をしている変身ものがいいなあ。
2017/03/26
キム・スタンリー・ロビンスン(Kim Stanley Robinson)の『ブルー・マーズ』。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』と続く火星植民地を描く火星三部作の最終巻である。なんと原著が出て20年後である。前作が翻訳出版されて16年。
昔は、東京創元社の場合、気長に待たなければならないかった。
最近はそうでもなかったが、出版してくれるだけでありがたい。
訳者の大島豊氏と、いつぞやメールでやりとりしたときには、「渡してます」ということであったが、それから幾星霜。
『レッド・マーズ』の後半のカタストロフィの大迫力は凄かった。
『南極大陸』のような地味な作品でもしっかりとした構成と内容で読ませてくれる。
期待しましょう。
2017/03/19
『日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語』 山崎晴雄/久保純子 講談社ブルーバックスを思わず読んでしまった。
『東京「暗渠」散歩』、『東京「スリバチ」地形散歩」とか好き。過去、ここは何があったのかを想像するのは楽しい。
「ブラタモリ」で、どうやら地形に対する興味があるひとが増えたらしい。うれしいことだ。人間の営みにも目がいくけど、なぜここにひとが住むようになったのかとか、なぜこの道はまっすぐではないのかとか考えるのも好き。
『東京の自然史』、『江戸東京物語』なども楽しい。
100万年史は、一地域ではなくて、日本全体に焦点を当てているため、総花的にはなっている。伊豆半島は、遠く南国からえっちらおっちらやってきて日本にくっついたとわたしが言っても、だれも信用しないのはなぜ。
世田谷は、住宅地化されてから、さほど長い年月を過ぎていないため、道の構造をよく見ていると、たぶんこれ農道で、これ畦道、でこれが抜け道とわかりやすい。
しっかり整備されてないからなのだろうけど、思わずこの道はなぜこうなっているというのもある。道路予定地などもけっこうある。
世田谷は桜とつく地名が多い。これからの季節、桜が楽しめる場所がいっぱい。なぜなんだろうとたまに思うけど、こちらで植えているのを見て、うちもと拡大していったのだろうと思われる。
2017/03/11
アメリカのドキュメンタリーで『Air Crash』というのをご存じだろうか。
飛行機事故のドキュメントでシーズン14、全部で120エピソードくらいあるらしい。
続けてみると、落ちる、堕ちる、墜ちる、辛い。しかも前半はほとんど事故がどうなったかという事象の追及で、後半は原因を追究する。
ヒューマンエラーか、ハード面のトラブルか、実にドラマティックに展開させる。
おもしろいというと問題があるが、ナショナル・ジオグラフィックの看板番組だろうと思える。
ノンフィクションものはよく読んでるし、興味を惹かれる。
あれほど大きいものが飛ぶとは、未だに怖い。やはり乗りたくはない。
しかし、かあちゃん、こればっか見てるとやはし変。
ほかにも動物ものでもいいものがあるのだけど…
2017/03/01
プレミアム・フライデー、なに、それ。
接客業やサービス業はどうなるんだよ。みんながみんなデスクワークをしているわけじゃないんだ。官庁の考えることは的外れなことが多い。
それ以前にもっと仕組みを考えるべきではないのだろうか。とりあえず呼びかけてみて、やってみてというのは、最低の手法である。
簡単なものを複雑化するのが得意な日本の政府は、もっと上から目線ではない施策を練るべきである。親方日の丸の時代ではないのだから。
年度末になると工事が多い、相変わらずの光景は、止めるべきではないだろうか。
レスポンシブWEBデザインには、当初から取り組んでいたので、スマホでチェックしてみてもサクサク動くので、ほっとしている。
アドセンスにレスポンシブ広告をひとつ組み込んでいるのだが、このスペースに336X280で表示されることもあるとは、思わなかった。
336X280の大きさの公告がみっつ表示されるとさすがに、自分で作っていてもうざい。
この広告サイズ変更を行うと、相当な影響が出るのでいじりたくないので、少々我慢してもらうしかないか。
作ってみて感じたことだが、レスポンシブWEBデザイン、パソコンの画面でもスマホの画面でも同じように見えることを目標とするものだが(少し違うか)これこそコンセプトありきでないと難しいと感じる。
少し前には、派手に見せることを目標にしたものだが、最近はそうでもなくなりつつあるようだ。
商品を並べるだけでは売れる時代ではないのは確かだ。演出手法を学ばないとなかなか生き残れないのね。
パソコンとスマホでCSSを分ける方法もあるけど、ここはひとつのCSSで行っている。画面分割も多かったけど、経験上、使いにくいと思われ、一画面スタイルを通している。
実いうと、CSSを分けると頭がついていかないんだよね、これはどこでどうやっているのか、忘れてしまうんだよね。
だいぶ、記憶力がやばいか?
2017/02/27
アマゾンのリンクを張っている。出始めのころから、チェックはしていたのですが、このサイト向きではないリンクやバナーが多い。
丁寧に商品ごとに張ることを目的とされているので、集合した部分から個だけを取り出すリンクが難しい。
クイックリンクウィジェットを、やむなく使用している。
各出版社別リストからは、できるかぎりクイックリンクウィジェットを使用していない。最低限の礼儀だと思っている。
リストから各出版社のサイトへのリンクもあまり張っていない。
けっこううるさかった時期があった。しかし、どこからどういうリンクを張られているのか、まったく掴めなくなっているのが現実だろうと思える。
アマゾンのクイックリンクウィジェットは各作家別リストから張っている。実験的に各作品からリンクを張ったこともある。今は、作家名だけのリンクに変えた。
売上は明らかに落ちる、それはしかたがないのだが、各作品名から張ると煩雑すぎて、恐ろしいほど手間もかかる。
実際はネット書店やリアル書店のリンクを活用したいのだが手ごろなものがないのが、実情。
それともわたしが知らないのかな。
一部出版社にはアフィリエイトなものもあるが縛りがうるさそうで、ちょっと腰が引けてしまう。売上をあげたいのは事実だが、本来のリスト的な役割を壊してまでもとは思えないし、本末転倒なことはしたくない。
日本だけでなく、海外本も検索できるようにしてある。原書を見るのもけっこう楽しいものである。
途中からクイックリンクウィジェットを使うようになったので、リンクを設定していない場合も多い。また、違うよね、これっていう場合もあるかもしれない。
少なくとも、張ればなんとかなるということはない。工夫しないとだめなのはわかっているけれど、も少しリンクやバナーをなんとかしてほしいものだ。
2017/02/20
イモルキの大統領が、世界を振り回している。そこにヌマアの首相がへこへこしている。
そんな印象なのだが、一国を分断するほどの非常識さを発揮するお方には、それ相応の距離感を保たないとまずいのではないかと思うのだが。
マンハッタンでその名前を冠するビルを見たとき、秀吉の黄金の茶室よりも趣味が悪いなと思ったものである。
作品リストもある、作りたくなかったのですが、公正さを規範にしてますので作りました。
実業で成功した場合は、その成功体験を繰り返したがる。Aで成功した事例がBでそのまま通用するはずもないのに、枠にはめようとする。
枠は、コンサルティングでいうところのツールでもあるのだが、このツールを数多く持っていれば、これがだめならこちらでと数多く活用できる。
知識の集約が組織にあるから応用ができるのであるが、少ないツールに思い込みを持たれる個人では、特定のもの以外は否定しようとする。
結果、うまくいかなくなる。
失敗にこそ本質があり実力がある。成功には偶然の要素が強くある。
小さな失敗を繰り返しながらも、小さな成功を積み重ねることによって、そこに経験が生まれ、実力がつき成果をあげられる。
天才ではないわけだから、地道な努力しかない。
失敗せずに己のささやかな成功体験に拘泥されるのが、もっとも恐ろしい。ほら身近にいるはずですよ。自慢話がいつも同じという人が。
しかし、大統領は失敗しているはずなのに、それが感じられないのはなぜ。
自伝は読みたくはないが、興味はある。
失敗を考えるとき、この名著は忘れられない。
2017/02/12
キレーションサイトのためにGoogleが検索アルゴリズムを変更したとかいわれている。
「まとめサイト」みたいなものは必要があって生み出されてきたわけで、発生してしまったものを規制するというのも非常に難しい。
不毛な「いたちごっこ」は、いつの時代でも繰り返される。けっしてなくならないものも多いのだが。
検索アルゴリズムの変化、実は感じているのである。微々たるものだがアクセス数が増えてる。
このサイトも20年だから、いろいろ試したものだ。一度、サイトを消滅させてしまったことさえある。SEO対策もしてみた。
しかし様々にテストしてみた結果、そんな「せこい」ことをするよりも、質の高いサイト構築を目指すべきだと思えたのである。
読書ノートのサイト版として考え出したコンセプトに基づいて構築した。
ごてごてした装飾を可能な限りはぶき、なおかつ必要最低限の情報をまとめる。
ヘッダー情報もシンプル、プログラムの書き方は、なってないなあと言われそうですけど…
今更ですが、スマホにしました。あ、便利なのねと驚いた次第。
え、遅すぎるって。
パソコンだけで困らなかったし、持ち歩いてどうするんだと思ってたんだよね。
2017/02/ 6
SFは、シミュレーション的な要素が多く、ファンタジーはロールプレイング的な要素が多いと思っているのである。ファンタジーは世界観の物語だということとロールプレイングとはいかなる関係があるのか。
役割を演じさせることによる世界の表現方法、魔法というご都合主義的な小道具を使用することができるために必然的な状況設定かと思っているのだが、しかし…。
ハヤカワ文庫FTが少し途絶え気味になっている。販売不振であると、すぐ切ってしまうところなので、致し方ないのだが、今回『ティアリングの女王』 エリカ・ジョハンセン(Erika Johansen)を読む、原作は読んでいないのだがダイアナ・ガバルドン(Diana Gabaldon)の『アウトランダー』のテレビドラマと似ているなと思える作りになっている。
ドラマ化もされるということなのだが、確かに、これはドラマ化されることを意図しているように思う。
ジャンル分けに関しては、ここ4、5年意味があるのかと思ってきたけど、『ティアリングの女王』などを読むと、ファンタジーの括りはなくしたほうが売れそうな気がする。
同じようにSFのサブジャンルのミリタリーSFというのも、止めたほうがいいのではないかと思うのだが。
ジャンル的な括りは読者の選択方法を狭めるし、日本作家は、そうした売り方はされていないように思う。
SFだ、ミステリだ、ファンタジーだというのは、ひとむかし前の情報が少ない時代には有効な手法であったのだけど、いまは違うように思う。日本作家、海外作家だけで十分ではないかと思う。
前から疑問に思っていたけど、「いいものは売れる」だけではなく、売る方法にもこだわるべきである。
SFAとか、データ分析よりもだ、感性と信念が必要なようにも思うのである。
これこそ前世紀、昭和か!
2017/01/30
サイトの完成度が、アドセンスに関係しているようだ。
ブログとか技術者が作っているサイトならば、完成度も問題ないだろうけど、エディターで個人が、かりかり書いている状況では、ミスもある。チェックソフトで修正しているのだけど、見つけるのが難しい。特にリンクの</a>を忘れることが多い。
完成度が低いと、実績が低くなる傾向がある。大きなミスを放置してしまった経験からすると、その放置期間は下がり、修正後も戻すのに放置期間以上を費やすようだ。
アドセンス側から見ればサイトは商品である。瑕疵があれば、当然許されざるものなのだろう。
サイトの作りこみにおいて、やむなくリンクをアンカーと結び付けていない状態にしている場合もある。これも大きく影響をするようだ。
html#”>という状態、でですね、html”>としておくと、リンク上問題がないらしい。
ブラウザの仕様の違いがあるが、html#”>で放置すると、うまくアドセンスが表示されない。サイトのページの一番下まで行ってしまう。
html”>では、ページの一番上が表示される。細かいことだが、数が多くなると影響が出る。
現在、2016年の登録中でhtml#”>で放置しているのがある。作業が追い付いていないのでしかたがないのだけど、確かにうまくリンクしてないと「むかつく」のは確かである。
もうしわけありません。長い目で見てくださいませ。
2017/01/22
アルフレッド・ベスター(Alfred Bester)『破壊された男』を読む。ハヤカワ文庫SFの伊藤典夫訳である。新刊である。
創元版で読んだ時は、『虎よ、虎よ』に比べると「静」かなあという印象があった。『虎よ、虎よ』と『分解された男』と、読んだのは、どちらが早かったのか、判然としない。たぶん『分解された男』が早かったと思う。
今回読んで、びっくりしたのは『虎よ、虎よ』と同じに「動」なのねという点であった。
訳文によって印象が変わるのは致し方のないことである。
記憶の奥を掘り下げて、『破壊された男』の中のテレパシーによる会話シーンがある。C・M・コーンブルースに「蝕むもの」 The Mindwormという短篇がある。たぶん、これが会話だけで進めるテレパスシーンの描写の嚆矢であろうと思われる。
インパクトが強かったのは、筒井康隆の『家族八景』の画家の物語ではあるけれど。
ともかく、当時、考えられるありとあらゆる光景を封じ込めた作品だったのねと感慨を新たにした。
凄い作家なのね、短篇集が文庫になっていない。『願い星、叶い星』、できれば完全版が欲しいなあ。
2017/01/16
Google Analyticsによりますと昨年の当サイトの訪問者数は13万、リピーターも含めてだけど。ページビュー数は45万(現在のページ数は33,000)、平均2.3ページ、訪問時間は約2分。
日本は95%、海外が5%、アメリカ、韓国、イギリス、ロシア、カナダ、台湾、中国、フランス、ドイツとこれがトップ10。110の国と地域からアクセスがありました。
海外からの訪問者も増やしたいと思い、文字コードも変更したが、どうも原題の表記の仕方が問題らしく伸びない。ここは再度、考えてみざるを得ないか。
年齢構成は、18歳から24歳が25%でトップで年齢が増加するにつれ、比率が下がる。年齢層が若いのは、どうやら宿題やらレポートがらみらしい、実際集中する時期がある。
スマホでも問題なく閲覧できるように工夫はしてある。画像データは極力はぶいてあるので、サクサク動くとは思うのだが。スマホの場合はこれが大事だと思っている。
男女の比率は男性60%、女性40%、女性は18から24歳がトップで以下、年齢が増加するにつれ、比率が下がる。
男は25~34歳、45~54歳が高く、18~24歳がその次、35~44歳がまた低くなる。
若い方が多いのには少々、驚いている。特に18~24歳。書誌データだけのサイトだよ。それ以外、何もない。たぶん、同世代が多いのだろうなとは思っていたが実態が違うはうれしい驚きである。
まだまだ捨てたもんでもないのだよね。みな本を少しは読んでいるのかな。
Analyticsを使いはじめて3年、海外からのアクセスは合計156国になってます。一回もないのはボリビアとか北朝鮮、アフガニスタン、アフリカの多くの国である。
一回しかない国も20くらいある。南スーダン、イラクでも一回あるのは、びっくり、この国はどこというのもある。
国内では23区が個別集計されているが、横浜、大阪、新宿区、港区、名古屋、渋谷区、千代田区、京都、世田谷区、埼玉と並ぶ。
世界でのホームページのランクでは100万番目くらいらしい。国内でも10万番目くらいらしい。
全世界でホームページ、サイト数は10億くらいあるらしい。とんでもない数なのねというところ。
アドセンスとサイトの完成度、プログラム上の問題、アマゾンのリンクについては、また次回。
2017/01/03
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
昨年のSF、ナンバー1を選びたいなあと思うのだけど、年末になると必ず行われるベスト10選び、そんなに読めてるわけでもないし…
ノンフィクションでは『小尾俊人の戦後』 みすず書房 宮田昇、『翻訳出版編集後記』 幻戯書房 常盤新平の二冊を読んだ。過去を追い始めるのは老いた証拠か。
創元SF文庫では、アン・レッキーの三部作が終わったけど、実は三部めを読んでいない。
読むのがしんどかったんだよね。単行本では『人生の真実』 グレアム・ジョイス(Graham Joyce)だろうけど、この作品『鎮魂歌』でもそうだったけど、ある程度、読みなれてないと辛いよねと感じること多々あり。
わたしも読むのに少々、覚悟が必要でした。おもしろかったんですけど。
ハヤカワ文庫SFでは、『ボーン・アナリスト -骨を読み解く者』 テッド・コズマトカ(Ted Kosmatka)が意外良かったけど、なんかハリウッド的、アクションが派手すぎ。
『第二進化』 A・G・リドル(A. G. Riddle)のアトランティス・ジーンは全部読めてない。
収穫の多かった短編集、アンソロジーを選ぶのはなんか違うような気がするし、〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉では、『蒲公英(ダンデライオン)王朝記』 ケン・リュウ(Ken Liu)なんだろうけど、なんかなあ。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』 ピーター・トライアス(Peter Tieryas)なのかもしれないけど、これでいいのかとも思うし、う~む、へそ曲がりなのか。
今年は、アニメをよく見た。疲れて帰ってくると30分くらいの異世界レクが、実に心地よいのである。
というわけで、何を見たのかというと、『マクロスΔ』『最弱無敗の神装機竜《バハムート》』『異能バトルは日常系のなかで』『俺がお嬢様学校に『庶民サンプル』としてゲッツされた件』『犬とハサミは使いよう』
『織田信奈の野望』『レガリア』『ラブライブ!』『ラブライブ サンシャイン!』『戦姫絶唱シンフォギア 三部作』『それでも世界は美しい』『聖剣使いの禁呪詠唱 (ワールドブレイク)』『クロスアンジュ』
う~む、書いているうちに我ながらあきれてしまった。