徳間書店(Tokuma Shoten)
株式会社徳間書店(Tokuma Shoten Publishing Co., Ltd)
終戦直後の新興新聞社の一社、「アサヒ芸能新聞」を発刊したアサヒ芸能新聞社が、倒産に近い状態になり、その時、後の整理を引き受けたのが徳間康快である。
その業務の中で、債権者・従業員・取引先の信頼を得て、業務存続が決定し、『アサヒ芸能新聞』を『週刊アサヒ芸能』に誌名を変更。同時に社名をアサヒ芸能出版社にして再出発となる。
のち、一般書籍にも進出した為、徳間書店に改称した。
1972年、ミノルフォン音楽工業株式会社を買収し、徳間音楽工業株式会社とする。1983年に制作部門は、株式会社ジャパンレコードを吸収合併し、株式会社徳間ジャパンとなる。営業部門は株式会社徳間コミュニケーションズとして独立。AV業界などにも進出。
1992年、株式会社徳間ジャパンと株式会社徳間コミュニケーションズが合併し、株式会社徳間ジャパンコミュニケーションズになる。
1974年、大映が徳間書店の映画制作子会社となる。
『君よ噴怒の河を渉れ』『黄金の犬』等の西村寿行の作品の映画化等を手がけるが、次第に大作を造りはじめる。1982年、日中合作映画『未完の対局』1987年『首都消失』1988年『敦煌』
1978年、「アニメージュ」発刊。
1980年代には、メディアミックス展開を仕掛け、押井守のビデオアニメ『天使のたまご』、安彦良和の映画『アリオン』の製作に協力。
宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』を連載。映画化でも尽力。スタジオジブリ設立に繋がる。
1992年に休刊になった朝刊紙「東京タイムズ」の再建にも努力をしていたようだ。夕刊紙の講談社の「日刊ゲンダイ」に刺激されてのようだけど、残念ながら成功しなかった。見た記憶はあるが、買った記憶はない。
映画関連では、名作、平成『ガメラ』、『Shall we ダンス?』を作り出すも業績はアップにはならず、長年の放漫経営とバブル崩壊と、メディアミックス路線が影響して、経営が大きく傾き住友銀行の監理下に置かれる。
が、監理下であっても、カリスマ徳間康快は、巧みにのりきっていたようである。まあ、すげえなとは思うけど。
2000年に徳間康快死去。
2001年、徳間ジャパンは株式会社第一興商に買収される。
2002年、大映のすべての事業及び営業権等は角川書店に売却される。
新橋の旧社屋は、2003年資生堂に売却されて「汐留FSビル」となる。旧社屋は、ファンジンのインタビューでお邪魔したことがある。
スタジオジブリは徳間書店に吸収合併されていたが、2005年新たに株式会社スタジオジブリを設立し、独立。
関連部門の売却ののち、債務整理が終了し、出版活動を続行する新社「株式会社徳間書店」で、経営再建を果たしつつある。
発行雑誌
「週刊アサヒ芸能 」「問題小説」「アニメージュ」「Goods Press」「ハイパーホビー」「ラブベリー」「月刊COMICリュウ」
発行した雑誌
「テレビランド 」「わんぱくコミック」「月刊マンガボーイズ」「SF・ファンタジー リュウ」「月刊少年キャプテン」
「SFアドベンチャー」「サンサーラ」「プチアップルパイ」
「PC Engine FAN」「Virtual IDOL」「メガドライブFAN」「Play Station Magazine」「MSX・FAN」
輝ける才能も、いずれは色褪せる時も来る。それは絶好調の時にこそ、内包される毒にも近いもののためにそうなることが多い。
いつまでも輝ける時は続かない。
それを感じ取れる感性があるか、それを聞くだけの勇気があるか、そして、それを果断に終了させる勇気があるか。
おそらく、それは誰にもないのかもしれない。